日本初!シックスセンス(5感+直感)空間プロデューサー!

  1. アーティスト

日本初!シックスセンス(5感+直感)空間プロデューサー!

運気の上がる空間をプロデュースする男がいると紹介された。はじめは何故、運気が上がるのか理解不能だったが風水をベースにした空間づくりをされていると聞き少し納得した。建築に関してあまり知識のない私は同席された一級建築士の方が「それは凄いね!建築士が空間作りをするとセンスが無いのでダサくなる。風水師に同じ様に空間づくりを任せると統一感が無くなりダサくなる」と言ったのです。その言葉から塩野目氏の他には無い付加価値を十分に理解できた。塩野目氏が手がける空間は非常にスタイリッシュで全く風水というものが感じられない。しかし、風水をベースに走らせ、色、形、音、香りなど人間の5感を刺激していると言う。5感を刺激しながら、更に集中力を高める空間創りもされるので直感力も高まるという。直感力をあげてゆくと「閃き」に繋がる。塩野目氏が手がけるオフィスや店舗は繁盛し業績が上がってゆくのでリピートされるお客様ばかりだという。いかにしてこの「シックスセンス(5感+直感)空間プロデューサー」というユニークなポジションを手に入れたのだろうか。 

 

工場の2階が自宅

祖父の代から自動車部品の工場を営んでいまして1階が工場、2階が自宅でした。兄と姉の3兄弟で祖父母、父母そして父の兄弟も一緒に暮らしていましたので10人近くが一つ屋根の下に暮らしていました。まるで昭和ドラマに出てくるような家です。幼い頃から絵を書くことやモノを作ることが好きな子供でした。工場が遊び場の様なものでしたので、今でも地下鉄のブレーキの匂いやオイルの焼けた匂いとか嗅ぐと心地よくて仕方ないです(笑

10人近くで住んでいる家はとても綺麗とは言えませんでした。そのせいもあり、ドラマや映画に出てくるような素敵な家に住む憧れが、今の仕事に対する根本的なきっかけに繋がっているかもしれません。綺麗な家へ強い憧れを持ちすぎて日曜日は「モデルハウスに連れて行ってくれ」と親にお願いする小学生でした。展示場やモデルハウスに行くと(こんな夢みたいな空間があるのか!うちも新しい家になって欲しいなぁ〜)とワクワク胸を踊らせる少年でした。

 

衝撃を頂いた建築家「安藤忠雄」

中学生になると日本が建築ブームに入り、建築家の方々がテレビなどで脚光を浴び始めました。建築家の中でも衝撃的だったのは「安藤忠雄」さんです。ボクサーを目指していた安藤さんは独学で建築の世界に足を踏み入れ、世界的な評価を得ている建築を次々と作り上げています。更に話も非常に面白くて凄い人なのに畏まっていない。そういった生い立ちや人柄にも強く惹かれました。手掛けた建築からも(この美しい空間はなんだ!建築家という職業は素晴らしい!)と強い感動をもらい建築家を目指そう!と心に決める事になったのです。

漠然とですが(素敵な建物が建ち並んだ街で人々が喜んでいる姿)を提供できる人間になりたい!と思ったのです。

 

師匠との出会い

夢は建築家と定まったので、そのために「大学で建築を学ぼう」と中学3年生の時に決心しました。そんな時、高校生の姉が友達とたまたま泊まった清里のペンションで出会った阿闍梨さんがいまして、姉は家に戻るなり「生き神様みたいな人と出逢ってしまった!」と興奮して両親に報告して来たのです。その阿闍梨さんは霊的な力も備えていたので両親が定期的に仕事の相談などをする様になっていきました。私の進路の相談を両親が阿闍梨さんにしてみると適する職業1位〜3位を上げてくれました。

それは、なんと。

1位 建築。

2位 車関係。

3位 建築の設備関係。

だったのです。更に、波長の合う大学までみてくれ、早稲田だと波長が合わず芽が出ないので明治を勧められました。生まれ持って妨害を受けやすい因縁があるので大学受験を避け付属高校に行くようにと。ただ、明治高校の偏差値は70近くあり自分の学力としては相当上の学校だったのです。必死に勉強し受験に臨むも滑り止めは全て不合格。

ただ、不思議と明治高校には入れると根拠なき自信があり受験すると自分が勉強していた箇所がかなり出題され無事に合格出来たのです。この感覚は子供ながらに少し不思議な体験となりました。

当時は自分の将来を左右するほどの影響をもたらす「師匠」となるとは露も思わず、「世の中には凄い能力を備えた人がいるんだな。」と、ただ感心するだけでした。

 

上位5人の関門

晴れて高校に入学し、部活動は運動部にしようと仮入部でテニス部を選ぶのですが、かなり練習が厳しく1日で断念。楽しそうに和気藹々としている部活があり、それが山岳部でした。

登山には興味なかったのですが楽しそうな雰囲気が魅力的で入部を決めたのです(笑 自分の荷物は自分で背負い、どんなに辛くても1歩を踏み出し続ける登山は、その後の人間形成において忍耐力なども身についたので良かったです。

明治高校に入れば明治大学にほぼ進学できるのですが、どの学科に行けるかは学力の順位でした。建築学科は当時一番人気で学年1番、2番含め上位の生徒の殆どが建築学科を希望していたのです。この頃から建築家の方の講演があると知れば必ず足を運んでいました。高校生なんて一人もいなくて周りは大人ばかりでしたが(笑 建築学科に入る熾烈な戦いがあったのですが、お陰様で常に学年20位以内をキープし最終的に上位5人枠の建築学科へ進むことが出来ました。

 

就職せずに大学院へ

大学の課題は結構ハードで毎週の様に製図を提出。ヨーロッパへの留学も考えたのですが、まだ日本で学ぼうと大学院へ進もうと決めました。明治には学びたい教授がいなかったので芝浦工業大学の大学院へ進むため4年生の夏は受験勉強。芝浦工業大学の大学院に進むもゼミが中心でしたのでこなしている感が出てきた頃、ふと教授や生徒も含め、建築を芸術作品の様に捉えている事に気づいたのです。

自分の建築の原点は(人に喜んでもらう建築)だったので芸術作品という捉え方に強い違和感を抱きました。師匠に目標を見失いかけていると相談にいくと「風水セミナーを開催するので一度来てみたら?」と誘われたのです。大学院ではかなりアカデミックな事を学んでいたので風水や家相なんてどうでも良いと思っている人間でしたが師匠からのお誘いでしたので参加してみたのです。

 

風水との出会い

風水セミナーを受講してみると目からウロコで「なるほど!」の連続でした。伝えていることはごく自然な法則で当たり前なのですが、建築を芸術作品と捉えている建築家の目線には全くない視点だったのです。

例えば

【経営者の席は窓を背にせず壁にすること】

窓を背にするとガラスは光を透過し冷気も通しやすいので常に空気が動いている状態を背中で感じる事になります。そのため、集中力が落ち正しい判断もし難くなるので業績も落ちてしまいます。

建築プランでレイアウトを作る時は、カッコいい!とか効率的!などが話題の中心となります。そんな空間心理的な事は一切考えていませんでした。もちろん、知識として知らないだけなのですが知らないのも罪だと思ってしまったのです。取り入れたほうが良いに決まっているし、面白いのでどんどんのめり込んで行ったのです。そうすると大学院で学んでいることのギャップが益々激しくなり大学院で学ぶ意義を見いだせなくなってしまいました。辞めようかと思い師匠に相談すると「残り半年なのだからやり通しなさい。卒業してからでも遅くはない」とアドバイスを頂き辞めずに卒業しました。

 

ハッタリからのスタート

大学院を卒業し一般企業には就職せず、師匠のところに空間デザイナーとして入社しました。その会社には建築やデザインの知識を持っている人は誰ひとりいません。その為、相談者に対する家相などのアドバイスを具現化する意味で私の知識が大いに役に立つ形になりました。最初の仕事は経営者のご自宅の案件で2案件同時平行でした。社会人経験ゼロでしたので仕事の段取りも流れも全くわかりません。お客様から見ると立場はプロなので、知らない事でも知っている様にその場は振る舞い事務所に戻り調べるまくる日々でした。トラブル無く無事終わり、その後も次から次へと案件が入り続けました。多い時には10以上のプロジェクトが同時並行してる事が日常になっていました。

建築士の資格も取得しようか一瞬思ったのですが、それよりも自分の強みであるソフト(風水をベースにした空間デザイン)だけに磨きをかける方が賢明だと判断し、サイボーグの様に次から次へと案件を進めてゆきました。建築士の資格は取得しておりませんが、仕事を通じて建築士の仕事内容はかなり学ぶことが出来ので、今では建築士の方からもパートナーとして重宝されています。

 

やっと一人前になれたと思った瞬間

最初の5年間は遊ぶ時間はゼロ!必死に仕事を覚えるだけで精一杯でした。この5年間は何をやったか記憶に殆どありません。ただ、設計事務所などに入社していたら会社のコマになっていたと思うのです。誰も知識を持っていない組織に入社したからこそ、最初から仕事の全体像を把握し遂行できたのは将来的に大いに役立ちました。

20代最後の年、香港在住の女性経営者から日本でも起業するので家を作りたいという相談を頂きました。当時はスカイプなども無いので先方の要望をざっくり箇条書きで頂き、彼女が日本に仕事で来日した際に提案する流れになりました。相当デザインに拘る人と聞いていたので、自分でも(これだったら住んでみたい!)と思える家をベースに徹底的に拘り作り上げてゆきました。

そうして作り上げた案は建物だけでも2億は超える内容になったのですが初対面、その場で即決して頂きました。この仕事を経験し仕事に対する自信もつき、ステージを大きく上げる事が出来たと思えます。作っている最中も本当に楽しくて仕方ありませんでした。

 

命を救われる大事故を2度も。。。

車に乗ることがストレス発散でもあったので中古のフェラーリを購入しました。海外案件も増えて来た頃、アメリカから帰国し車に乗りたくてウズウズしていたのですが、時差や睡眠不足もあったので5日程我慢したのです。慣らし運転がやっと終わったフェラーリで箱根に行きました。

桜が綺麗な季節、平日の有料道路。気持ちよく走っていると意識が突然なくなったのです。

その後、強い衝撃で一度目が覚めるも、今度はその衝撃で気絶。

たまたま通りかかった管理パトロールのおじさんに起こされ救急車を呼んでもらいました。自分では何が起きたかわからないのですが荷物は道に散乱し、助手席は完全に潰れタイヤ痕は100m以上続いていたそうです。そのフェラーリは型的に燃えやすいので燃えていなかったのも運が良かったです。更に、そのパトロールの方は私の事故じゃなく、その先でバイクが事故をした連絡を受けて出動していたそうです。色んな事が奇跡的に重なり命拾いしました。怪我も少し耳の後ろを切ったぐらいでしたが、顔を強打していたので翌日の腫れはひどかったです。

数日間は安静にし、いつものように出張の日々がやってきました。仕事をスタートし1週間程した時、朝から身体が痛くてだるくて仕方がないのです。東京で新幹線に乗るも痛みが酷くて品川で降りました。1歩足をだすのさえ辛いのです。ギックリ腰など比べ物にならない程の激しい痛みが全身を襲ってきたのです。原因は事故の衝撃で身体が緊張状態だったらしくその反動の痛みでした。何かをすれば治るものでもないので病院や整骨院に通い少しずつ治して行きました。

また多忙な日々が続き事故から2年後にポルシェを購入。雨が降っていたので速度を落とし、気を付けて走っていました。すると突然(ふわっ)と車が浮いたのです!ハイドロプレーン現象!慌ててハンドルを切るとスピンをしてしまうので、為す術無くそのままガードレールにぶつかって行くしかありませんでした。一瞬の出来事なのですがスローモーションでフロント部分がメリメリと自分の方にめり込んでくるのが見えました。またもや大きな怪我をしなかったのですが、この事故が独立の一つのトリガーになりました。

 

3.11震災を通じ大切なモノを取り戻す

東日本大震災を目の当たりにし(自分がやっている仕事はこのままで良いのか? もっと人の役に立つ仕事をできないものか?)と自問自答する日々を送るようになっていました。それは、入社した当初と会社の方針が少なからず変わってしまっていたのも原因の一つでした。

そんななか、建築の世界を目指した原点(人に喜びと感動をもたらす建物をデザインすること)を思い出したのです。そして独立を考えるようになりましたが、私を育ててくれた師匠と会社に対する恩義を感じ、なかなか決心がつきませんでした。

しかし、その翌年2012年にポルシェの事故を起こし、命が繋がったことへの深い感謝が湧き上がり、残りの人生を悔いのないよう使命と志のために仕事をしていこうと、独立を決心するに至りました。

 

2年の後にわかった自分の価値

独立後はお客様を人柄で選ばせて頂くようにしています。その方が事業にどれだけの想いがあるのか!?そして私が力を注ぎたいと思える人物であるかです。

本当にやりたい方と仕事が出来るようになったので精神的にも肉体的にも楽になれました。独立してから数年後、昔のクライアントさんが次から次へと私を探し当て連絡をして来てくれたのは本当に嬉しかったです。その数は数十社にもなります。

私が抜けてから提案の質が変わってしまい、困っていたのでどこにいるかずっと探してくれていたそうです。本当に有り難いことです。

 

組織も来店客も大きく変わる

風水をベースとした自然界の法則をデザインに取り入れた空間を徐々に作り込んで行くことで組織の状態が良くなり業績があがっていくのがとても嬉しいです。逆に一気に空間を変えてしまうとエネルギーが変わりすぎて、ついて行けない社員が辞めてしまう事があります。その為、徐々に変化をつけていく事が大切な時もあります。エントランスから社員が座る席のレイアウトまでエネルギーの流れを整えたオフィスは1年後に人財が増えたのでレイアウト変更をしたいとの依頼を頂き、更には次から次に支店を開設。空間に投資した金額以上のリターンが組織の成果として出ているのが何よりも嬉しいです。

地方のスーパーマーケットから依頼を頂いた時は、食材が美味しく見えるように野菜、鮮魚、肉ごとに色彩を変えイメージを伝わりやすくしました。写真も駆使して色合いも買い物しやすい状態作り上げ照明も工夫しました。すると更に大繁盛して投資したものはスグに回収できたと連絡を頂きました。

他にも葬祭会館に関しても大切な人の最後はこの空間で見送って上げたいと思える空間作りを色や色彩、形、香りなども駆使して作り込みます。遊技施設やホテルに関してもお客様が自然と居心地の良いと思える空間づくりをして行きます。それが他のお店ではなく潜在的に選ばれるお店へと変化していくのです。お客様が集まる空間に関しては業種ごとに若干の捉え所のポイントは違いますが、基本的に繁栄する空間デザインの法則は一緒です。風水の知識をベースに色、形、香り、音楽をその空間に織り交ぜる事でお客様がなんとなく足を運んでしまう居心地の良い空間を作り上げることが出来るのです。

 

夢は日本再生!

自社プロデュースでホテルや旅館を手掛けてみたいと思っています。泊まるだけで人に良い刺激を与え特別な体験が出来る空間を創り上げてみたいのです。香港やシンガポールは徹底的に風水を駆使し街を造っていますので、宿泊施設の次は街づくりも手掛けてゆきたいです。その街に住む人達が元気になれば地域が活性化し、ゆくゆくは国の活性化にも繋がります。日本はいま空き家や過疎化が問題になっていますが建物も生き物だと私は捉えているのでこの世に産まれた(建てられた)ならば人に住んでもらいたいはずです。空き家も空間をリノベートし新たな付加価値を産み付ける事で、人々が喜びに満ちた生活が出来るようになります。

そう考えると子供の頃から私個人の理念は全くブレること無く立ち聳えています。

 

 

プロフィール:

『建築空間・インテリア空間を整えることで空間が人々に心地よい刺激をもたらし、そこは繁栄する場となります』デザインを通じて真に豊かな社会を創ることがSASSOUのミッションです。「創造的」かつ「発展的」な建築・インテリア空間つくりはデザインのアイデア次第で可能です。「色彩心理」と「建築心理」を最大限応用することにその答えが秘められています。

塩野目 明(Akira Shionome)

大学で建築を学んだ後、建築デザイン事務所に所属し、色彩を活用した住居・オフィス・店舗・葬祭会館・クリニック等の新築・リノベーション案件を多数手掛けたのち、2013 年に SASSOU 株式会社を設立。 人々の気持ちを豊かで安らぎに満ちたものへと変容させる空間デザインを得意とする。現在は建築・インテリアデザインを通じて事業を繁栄に導く、コンサルティング業務に力を注ぎ、反響を呼んでいる。

https://www.sassoujapan.co.jp/index.html

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