ゼロからの発想&行動力でオーダー家具業界に新しいスタイルを創り上げる【家具プロデューサー】

  1. プロダクト

株式会社KIJIN 代表取締役社長  石川 玄哉

全くのゼロから100年家具を作りたい想いを語り続け家具職人さん達とパートナシップを組み、起業わずか5年で神田明神さんとコラボした作品を世に出し、海外で活躍されているアーティスト けみ芥見さんとコラボ作品を作り上げている。石川氏は常にモノづくりをする上でストーリー性を大切にしている。神社の鳥をモチーフにした椅子があるのだが、何故椅子で鳥居なのか?と質問すると「天照大御神が天の岩戸に隠れた時、出てきてもらう為に鳥がさえずりした木が鳥居の原点だと言われているので大切な人とこの椅子に座って語り合って欲しい」と答えが帰ってきた。更に美しいフォルムのカップに関しては「自然と持つことだけで日本人らしい所作になるデザインを手掛けた」との答え。今後、どの様な作品を世に出していくか楽しみである。

 

尊敬する祖父

父方の祖父は三菱電機に勤めていてエアコンの「霧ヶ峰」を開発して命名しました。長野の霧ヶ峰に訪れた時、風が通り抜ける涼しさに感動し、そんなエアコンを作りたいと開発したそうです。商品は大ヒットし会社からも功績を認められ、その後グループ会社の社長に就任しました。

母方の祖父は森永製菓のグループ会社の社長を就任し、引退後は海老名パーキングエリアでパーキングエリア長に就いていました。

仕事内容は違えと経営者家計ではあったのかもしれませんが、私は特に経営者になりたいと思っていたわけではなく普通に公立の学校に通い大学を卒業して一般企業へ就職しました。

 

初めて目にするオヤジの気迫

父は建築士で殖産住宅に勤めていたのですが私が中学生の時、日頃会話が少ない父が私と弟を呼び出したのです。

父の前に弟と二人で正座すると父がいきなり「お父さんはいま勤めている会社を辞めて独立しようと思う」と真剣な顔で伝えてきたのです。

父は穏やかな人でしたがこの時は子供ながらに凄い決意が感じられ独立ということが良いのか悪いのかさえ子供なのでわからないのですがその気迫に押され込み上げてくるものを感じ私は泣きそうになりました。

殖産住宅は父の独立後、ほどなく倒産を迎えたのですが父はそれを見越して独立したのだと思います。

 

友人から頂いた言葉

現役予備校で知り合った仲間たちと大学に入っても夜な夜なファミレスに集まり良く遊んでいました。その仲間たちと「お前ってこうだよね」って他己分析みたいなのをしていた時に「お前ってつなぎ役や調整役だよね」と言われたのが強く印象に残っていたので、将来就く仕事も「繋ぐ」という言葉がキーワードになっていました。

繋ぐ=商社 なのかもしれないと思い業種は商社に絞って就職活動をしました。大学までの通勤の途中に綺麗なビルが建っていていつも気になっていたのです。看板を見ると「山善」と書いてあったので調べてみると工作機械やエアコン設備などを扱う商社だったのです。エントリーシートに「建物が綺麗だから綺麗な建物で働く人達はきっと綺麗な心の持ち主なはずで、僕もそんな心の綺麗な人達と働きたいです」というような事を書いたら採用されました(笑

そのビルは川崎にありながら東京本社だったのですが新入社員研修で大阪本社に集められ、配属先は綺麗な東京本社でなく大阪の商品2部でした。結局、一度も憧れの綺麗なビルで働く事はなかったのですがね(笑

 

家具商社の仕事

商品2部の仕事とはホームセンターなどと打ち合わせをしてオリジナル家具の企画を作りインドネシア等の工場に発注&輸入し、倉庫管理した後にホームセンターに納品する一連の仕事でした。企画コンセプトはホームセンターと作るのですが製品保証に関しては弊社なのでクレームに関しては商品部が受けます。

10人しかいない部署でしたが総額100億円ぐらいの商品を取り扱っていました。現地工場にも視察に行き、カラーボックスだと組み立て説明書も作って納期調整も全て一人でこなし、私の担当だけで2,500アイテム。製品不良が出ると部署総出て倉庫に行き検品作業をし、余りにも酷いと(シップバック)と言いコンテナに詰め直してインドネシアの工場に戻すのです。

多忙と思える余地が無いほど毎日目まぐるしく、入社1年目で緑色の便が出て医者に行くと「過労ですね」と診断され点滴を打たれたこともありました。ただ、不思議とやめようとは思わなかったのです。

 

多忙なのに仕事が楽しかった理由

他己分析をしていた当時の仲間が週末を利用して大阪に遊びに来てくれました。(さざえさん)を一緒に観ていると「お前、凄いな。普通のサラリーマンだったらこの時間帯は明日からまた会社だからテンション下がるのに全く変わらないよな」と言ってきたのです。

確かに仕事は忙しすぎるのに行きたくないとは思ったことがない。その理由を自分なりに考えてみたのです。仕事内容は多忙だし会社も特に好きというわけじゃない。商社だから多少は同年代より給与は良いけど飛び抜けてよいわけではない。山善にいるからと女性にモテるわけでもない。などと色々と消していって最後に残ったのは(家具が好き)と気づいたのです。

その時は具体的に家具の何が好きなのかまではわからなかったのですが1本のクレーム電話でハッ!とさせられました。

 

1本のクレーム電話が独立のきっかけに

ややこしいクレームに関しては全て商品2部で受けることになっていたのですがある日、カラーボックスを長年利用しているお客様からクレーム電話が入ったのです。その内容は「おたくのカラーボックスを10年使っているのだけど壊れた」と言われたのです。10年も使ってくれたことは本当に有り難い事なのですが何か違和感を感じたのです。

そもそも家具ってたった10年で終わるものなのかな?と。同じ家具で桐箪笥などは3世代に渡って使われています。電化製品は壊れてしまい一生使うのは無理だけど家具は一生使えるものになりえるし、持ち主の人生と共に生きてゆくのだと思ったのです。

人の人生と共に生き続ける家具というものが好きなのだと家具が好きな理由が腑に落ちたのです。

 

石垣島で出会った魅力ある人たち

学生の卒業旅行で石垣島に行きました。ゲストハウスに泊まったのですが大企業の社長さんもいればフリーターもいて色々な人達とお酒を飲んで本当に楽しかったんです。帰りの飛行機で「今度はいついく?」となり2ヶ月後にまた石垣島に入ったほど気に入ってしまいました。自分の人生を自由に生きている人たちばかりで今まで自分の周りにはいなかった人種でした。社会人になっても定期的に訪れていたのですが、カラーボックスのクレーム電話の後、ふと今の自分と照らし合わせてみると(今も特に不満はないけれどこのままこの会社で働き続けるのはベストじゃない。

自分がワクワクすることにチャレンジしたい「100年使える家具屋になろう!」)と思い独立を決意しました。

 

知識、人脈、お金全てなし

独立をしようと思っても多忙な業務内容は変わらないので仕事をしながら独立の準備は全く出来ません。4ヶ月かけて引続をさせて頂きスパッと仕事を辞めました。同じ家具と言っても量産タイプの家具と100年使ってもらえるオーダー家具とは似て非なるものでした。これまで培った仕事のノウハウや人脈も一切活用できません。全くのゼロからのスタートとなりました。交流会などに参加しまくり興味を持ってくれた人には後日時間をとって頂き「職人でもないし、何も出来ないのですが一生使える家具を作りたいのです」と自分の想いを伝えてゆきました。

1日9アポぐらいこなしていましたが最初の頃はゴリゴリに営業しているネットワーカーや、やれ幸せな人生を歩みたければサイドビジネスだなどと僕も話をしたいのに相手も話しをしたい人ばかりで振り返ってみるとアポとは到底呼べるような時間ではありませんでした(笑 ただ、毎日のように色々な人にお会いしていたので、自分の想いを伝える前にまずは相手の話を聞いたほうが相手は聞いてくれるとか。実践を通じ自然と会話の流れや伝え方などを学習してゆきました。自分はどちらかというと計画性は弱く走りながら考えるタイプ。全力で想いをぶつけて少しずつ切り開いて来た感じです。

 

初!オーダー!

交流会で出会った人に素敵な職人さんがいると紹介されたのがターニングポイントになりました。またその職人さんの実家は自分の実家の隣駅で、その方も独立したばかりでした。その職人さんはIT事業などで大成功されていたのですがどこかで虚無感を感じていたらしく、そのうち内側から何かふつふつと創りたい衝動に駆られ一切の仕事を捨てて単身スコットランドに家具の修行に行ったそうです。帰国後、日本の高級家具会社で修行し独立したそうです。

ご挨拶にお伺いした時は「何か一緒にやりましょう!」と話しただけなのですが直感的に何か作れるなと思いました。

その後、「木で名刺入れって作れるの?」という方が現れたので先程の職人さんの元を訪れ「作れますか?」と相談したのが最初の作品の始まりでした。普通の名刺入れだと面白くないのでジッポーライターみたいなものを作りたいと職人さんに話すと構図を書いてくれたのです。閉まるときもパチッとスッキリ蓋が閉まる感じを試行錯誤して商品化して行きました。この名刺入れが後に商売の神様である神田明神さんのロゴが入ることになるとは!?この時は全く予想していませんでした。

木の名刺入れを作り使った後は自分のブランディングの為に資料を持ち歩く木のバインダーを作りました。そうするとKIJINって面白いものを作っているね!家具は作れる?と家具の注文も頂く様になってゆきました。

動きながら気づいたことなのですが100年家具を生み出す事は自分で家具を作る必要はなく逆に職人さん達が輝ける世の中を創り上げてゆくのも自分の夢にもつながるし重要なことだと思えるようになりました。職人さんを直接雇用せず提携先を増やしていくスタイルが自然と出来上がりました。

 

KIJIN

名前だけでなくブランド名も必要になりだし今度は「KIJIN」としました。漢字で書くと「木人」「奇人」「喜人」「輝人」「鬼神」など色々と表現できますが敢えてその方が自由に発想出来るように英語表記にしました。「KIJIN」はオーダー家具に関するブランド名です。

オーダー家具はその人のイメージによって色も形も変化しますが僕らは必ずその方の想像を超える120%を目指して取り組んでいます。

プロダクト商品に関しては「genya」。

オーダー家具に関しては「KIJIN」と分けています。

 

重要なのはストーリー

介護会社が新しく飲食事業をスタートする時にご依頼を頂きました。コンセプトは北欧のデザインを盛り込みお年寄りに優しいだけではなく、働く人もお洒落に思って欲しいという内容でした。車椅子でもテーブルに入りやすい様に足の配置を考え、自由にテーブルから離れやすく天板裏に手が入る彫り込みを入れました。

弊社が得意なのはコンセプトからデザインしディティールに落とし込む事です。

ストーリーを作り何故このデザインなのか?何故この材質なのか?全てストーリーに繋がるように空間をデザインして行きます。テーブルを納品する前、最後の仕上げは従業員さんに工房まで来て頂き一緒に仕上げました。ストーリーをお客様と一緒に作り込むことで、納品後お店の従業員さんに語り続けて欲しいのです。その他、経団連の理事の方からもオーダーの依頼を頂いたりしています。

genyaの商品としては中目黒の蔦屋さんで取り扱って頂いたり、神田明神さんとのコラボが決まったり。海外で活動されている岐阜出身のアーティスト「けみ芥見」さんと岐阜の伝統工芸である春慶塗のgenyaのネクタイ&蝶ネクタイがコラボしモナコのアートギャラリーにて販売開始されています。

 

茶室計画

色々と手がけたい事があるのですがその一つとしてITベンチャーのオフィスに茶室を導入してみたいですね。茶室では武士も茶人も身分は関係なくにじり口から屈んで入り、刀ももちろん置いて入ります。コミュニケーションが希薄になっている現代こそ人と人がゼロの状態で向き合う事が重要じゃないかと。

そのため、茶室に入る前には携帯電話や腕時計などは外します。これは概念としての茶室なので本業とは別軸になりますがチャレンジして見たいことです。

まだまだ経営的に安定とは言えませんが家族も仲間も応援してくれていますし、素晴らしい腕を持った職人さん達が活躍する機会を僕のアイデアと行動力でお客様の笑顔と共に結びつけてゆきたいです。

 

 

 

プロフィール:

株式会社KIJIN  代表取締役社長 石川 玄哉

2008に明治大学を卒業後、専門商社 株式会社山善に入社。

量産家具の商品企画部に従事。働く中で、耐用年数の短い量産家具の限界を感じ、2012年末に脱サラ。

2013年に知識、経験、人脈ゼロの状態からオーダーメイド家具屋をすべく独立。

永く人と共に生きれる木材に特化したオーダーメイド家具屋「百年家具KIJIN」を設立。オーダーメイド家具と空間づくり、木のネクタイ、蝶ネクタイ、タンブラー等のオリジナル木製アイテムの開発を行う。

日本の伝統技術である木工技術を用いた職人づくりの品のプロデュースを行う中で、和のものづくりの大切さに目覚める。

現在は「日本文化の再構築と文化継承」をテーマに創建1300年の江戸総鎮守 神田明神、江戸創業の老舗茶問屋、明治元年創業の酒蔵などとのアイテム開発、家具、空間プロデュースでのコラボレーションも行っている。

HP: http://kijinwood.jp/

 

 

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